総合格闘家

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    69: 実況厳禁@名無しの格闘家 2019/08/07(水) 06:51:18.39 ID:1XlZVjwO0
    川尻が朝倉挑発してるぞ 



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    129: 実況厳禁@名無しの格闘家 2019/07/29(月) 01:16:07.67 ID:GaygypNI0
    サトシの今後を早くみたい

     2019年7月28日、『RIZIN.17』さいたまスーパーアリーナ大会・第5試合で、ホベルト・サトシ・ソウザ(ブラジル/ボンサイ柔術) と元UFCファイターの廣田瑞人(CAVE)が71kg契約で対戦。1R3分05秒、サトシが右ロングフックで廣田にTKO勝利し、4月の北岡悟戦に続くRIZIN2勝目をマーク、MMA戦績を9戦無敗とした。

    試合後、サトシはトロフィーを手に、「ごめん。今日はちょっと難しい話がある」と前置きした上で「ほんとうに有難い人はいっぱいいる。私のチーム、私の家族……」と個人的な想いをマイクで語り始めた。

    続けてサトシが呼び掛けたのは、浜松でソウザ兄弟とともにボンサイ柔術の日本支部起ち上げに尽力した人物の名前だった。

    今日のこのトロフィーは一人ね、一人にあげたい。サカモト・ケン(客席を見回して)、サカモト・ケン! いつも私を手伝ってくれて本当にありがとう。ごめんね、1カ月前、あなたのお母さん亡くなったね。だから、今日(のために)、たくさん練習してきた。お願い、お母さんに(トロフィーを)持っていって

    坂本健──2004年にサトシの兄、長兄のマウリシオが来日してから15年間、ブルテリア代表として柔術衣などを制作・販売しながらソウザ兄弟とともにブルテリア格闘技ジムの運営、ボンサイ柔術を支援してきた人物。その坂本氏の亡くなった母に、サトシはトロフィーを捧げたい、と言っていた。(中略)

    試合後、サトシはリング上でのマイクについて、「どこへ行っても、僕が試合をすると坂本さんのお母さんも一緒に来ていて、あまり話をしないけどいつもいる。坂本さんのお母さんは、いつも坂本さんを支援していたから、ブルテリアを始められたのも、今、坂本さんが僕を助けてくれているのも、坂本さんのお母さんが坂本さんを助けていたからだと思っています」と、その胸の内を語っている。

    試合後、坂本健氏にもサトシとの軌跡を聞くと、家族ぐるみで心を通わせてきたボンサイファミリーと坂本家の姿が見えてきた。サトシの言葉とともに、紹介したい。(全文は以下)

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190801-00010000-gonkaku-fight

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    292: 実況厳禁@名無しの格闘家 2019/07/16(火) 12:20:34.59 ID:SCT/uo8q0
    未来「次からはフェザーでやりたい」

    7月28日(日)さいたまスーパーアリーナにて開催される『RIZIN.17』で、70kg契約のRIZIN MMAルール5分3R(ヒジあり)で矢地祐介(KRAZY BEE)と対戦する朝倉未来(トライフォース赤坂)が16日朝10時から、所属ジムで一般ファン公開の練習を行った。

    かけつけた20人弱のファンの前で、ボクシンググローブをつけた未来は、弟の海が持つミットにサウスポー構えから、途中、オーソドックスに構えを変えて左右のコンビネーションを披露。70kg契約らしく、いつもの試合前より一回り大きな身体で、強い打撃を打ち込んだ。

    公開練習後には囲み取材を行い、最後にファンの質問にも答えた未来。

    対戦相手の矢地については、「余裕がないスかね。打撃で待てないのと、フェイントに対しても大きなリアクションしか返せない」とスタンドでの優位性を語ると、矢地の「空気を読まない」発言に対しても、「その『勝ちに徹する』試合が、寝技に持っていってやるみたいな感じかもしれないけど、俺から簡単にそうテイクダウン取れないから。向こうがどうしようが、どっちにしろ面白い試合になる」と一蹴。矢地の隠れた武器とするグラウンドについても「テイクダウンデフェンスに少し重きを置いている」と対応済みであることを語った。

    「自分の強さの再確認になると思う」──気負いなく語る未来は70kgでも、背水の陣の矢地をのみこむか。(全文は以下)

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    1: 名無しさん@恐縮です 2019/07/03(水) 13:27:27.82 ID:w0jgNlAB9
    2008年、柔道の男子100キロ超級の日本代表として北京オリンピックに出場した21歳の石井慧は金メダルを獲得して、一躍時の人になった。
    しかし、その年の秋には総合格闘家への転向を表明、またもや日本中を驚かせた。

    32歳となり日本で忘れられた存在となっているが、現在は海外の団体を転戦しながら、総合格闘家として着実な成長を遂げている。
    「日本は捨てた」の真意やクロアチア国籍を取得したエピソードも飛び出すなど、波乱万丈の10年を語った。(インタビューは、6月7日にアメリカ・ニューヨークにて実施) (中略)

    ――総合格闘家になる前に思い描いたことは実現できました?

    「まったく違う方向に行ってますが、満足してます。いまのほうが面白いかなと

    ――最も成長した部分は?

    「強い相手とたくさん戦って、いろんな経験を積めました。あとは海外での生活であったり、そういうのを含めて人間的に深みが出たかなと」

    ――最近は海外での試合が多いですね。

    「海外のほうが気楽ですよ。日本でやれば日本の選手が有利ですから。そこをあえてアウェーで戦うのは、本当の強さを追い求める意味では大切なのかなと。 
    日本にいると、変な雑音が入ってきたりします。海外は日本ほどそういう雑音もないですし。海外のほうがぼくを評価してくれますし、合ってると思います」 (全文は以下リンク先参照)

    https://news.yahoo.co.jp/byline/kiyoshimio/20190703-00132094/ 


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    1: 名無しさん@恐縮です2019/06/20(木) 20:50:33.96 ID:sZWrUt8/9
    日本でも活躍した格闘家パトリック・スミス(アメリカ)が、2019年6月18日(日本時間19日)午後3時15分、膀胱がんにより死去した。55歳だった。

    本誌の取材に弟のジェリー・スミス氏は20日、「パトリックはマーシャルアーツを生き、マーシャルアーツを愛していました」と、兄の思い出を語った。 (中略)

    スミスは米国コロラド州デンバー出身。初来日は、1993年10月に開催された正道会館主催の全日本空手道選手権大会で、1回戦で佐竹雅昭に一本負け。
    その名を馳せるようになったのは1993年11月に地元デンバーで旗揚げされた『UFC』がきっかけで、第1回大会のトーナメント1回戦ではケン・シャムロックにヒールフックで敗れたものの、翌年3月のトーナメントでは決勝に進出してホイス・グレイシーと対戦した。

    同年4月にはK-1に参戦し、K-1グランプリの1回戦でアンディ・フグと対戦すると、アンディをわずか19秒でマットに沈める大番狂わせを演じた。
    K-1グランプリでは準決勝でピーター・アーツに敗れて第3位。同年9月の『K-1 REVENGE』でアンディと再戦してKO負けでリベンジを許したが、その後もK-1に定期参戦。1995年12月には田村潔司と総合格闘技ルールで対戦し、ヒールフックで一本負けするも大きな話題を呼んだ。 (中略)

    ジェリー氏は晩年のパトリックについて、「日本の格闘技ファンの皆さん、パトリックは日本での試合を誇りに思い、とても懐かしがっていました」と語っている。現在、ジェリー氏はパトリックの葬儀と追悼式の資金をクラウドファンディングで呼び掛けている。

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190620-00010004-gonkaku-fight 

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